「あの頃は」
あの頃は詩も書き日記も書き手紙も書き、そして田植もした。
田植の前に田の水を漏らさぬための畦塗りは男仕事なのに、蓑笠をかぶって一人でやった。雨が降りだせばすこしも待てない。じょれんで力一杯土を練る時、水が多すぎ又少なすぎて男の三倍も時間がかかった。
泥できれいに塗った畔には、田植のあとで豆を蒔いた。田植がおわってすぐ、まだ泥の乾かぬうち、疲れのすこしもとれないうち、二十センチおきに鋲をうつように棒でくぼみをつくり、そこへ大豆を三粒ずつ落し、その上から焼すくもをかけておく。
そのために畔を三べんは回らなければならなかった。日は暮れていつも私は烏のようなシルエットになった。
貰った豆種の中に三粒ほどの黒豆がまざっていた。それをだんだんふやして何年かの後にはお正月の黒豆に事かかないまでになった。
天ぷらを食べさせようと思えば菜種を蒔き、奈良漬を漬けようと瓜をつくった。
梅の木は自然に叢に生えたただ一本を育てて、やがてその木から五升も実がとれるようになった。花はうるわしくそして梅漬や梅酒をつくった。
ああ私は不思議なことをした。
けれどもそれらは私にとってすこしも苦労な事ではなく、なすべくして報いを得た。
考えれば詩、それよりもむつかしい事が世の中にあろうか。詩において私は何升の得をしたであろうか。どれ位まわりの人々を善ばせ得たろうか。まことにお正月の黒豆ほどにも、お握りの梅干ほどにも――。
ああそれを量ることはできない。
永瀬清子 蝶のめいてい